バブル時代の就職活動

平成の始め、携帯電話もなく、インターネットも無かった時代

いつから企業が採用体制に入るか分からない

去年なら、ゴールデンウィークの前

でも今年は分からない

商社と銀行が口火を切るのが通例だったような気がする

 

「就職先は自分で探すので、企業を紹介してくれなくていい」と、

ゼミの先生に宣言。長い教授生活の中で初めてだと言われた。

 

当時の理系の就職は、ゼミの先生に企業ごとの推薦枠があり、

推薦状をもらえれば、ほぼ100%内定決まり。

理系がメーカーへ就職するのは、ゼミの先生次第だった。

そんな決め方が嫌だった。

 

最初はメーカー就職を考えていたため、各社にハガキをおくり、

先輩訪問からぼちぼち開始。

地方の面接をクリアし、次は東京本社の面接スケジュール待ち。

 

東京本社の面接スケジュールを待っている間に、大学の知らない先輩から

「銀行の話聞いてみない?」とのお誘いの電話あり

その銀行には、大学体育会でお世話になった先輩が就職されていたこともあり、

興味があった。

当時、就職したい企業ランキング1位になっていた会社

 

1日目、どんな会社なのか聞きに行ってみよう、と軽い気持ちで待ち合わせの喫茶店へ。

当然、普段着。

2日目、大学でお世話になった先輩も出てきてくれ、もっと上の先輩と会話

この日も普段着。

次は、最終面接するからスーツで来いと言われ、これも「縁」だなと思い帰路へ

3日目、最終面接。人事部担当者、役員面接→内定

 

当時、銀行の最終面接として門戸が開いていた日数は、3日間。

その間に最終面接に行けなければ、採用されない。

メールも何もない時代で、内定が出始めた(=門戸が開いている)との

情報を取れる人材。大事なタイミングを理解し、力を出せるか。

アンテナが高い人材を欲しがっていた。

 

東大や優秀な大学は別だと思うが、一般の大学生の選別方法は、こんな感じ。

バブルでも、就職活動は簡単では無かったと言いたい

 

大変な人生の始まりだが、その時その時で周りの方々に助けられて

なんとかやってこれた。

 

助けてもらえる方に会えた私は、運が良かった。